この度の東日本大震災におきまして、多くの失われた尊い命とそのご家族や関係者の皆様に、深いお悔やみを申し上げますとともに、当社と同じように被災されました関係者の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
震災後、当社「愛情たらこのみなと」は、電話回線の復旧が遅れましてパソコンが使えず自社サイトがしばらく閉鎖されたままの状態でしたので、お客様におかれましては大変なご心配をおかけし、誠に申し訳ございませんでした。
皆様から数え切れないほど多くのご支援とご声援をいただき、本当にありがとうございました。深く深く感謝申し上げます。
そして5月6日、ようやく業務再開いたします。
ただ、工場の生産ラインが海水による水没のために使用不可能となり、設備機械類の復旧には時間がかかるものもあることから、現時点では震災以前のような一度に数種類の製造ができません。
お客様への十分なサービスができず、申し訳ない気持ちでいっぱいですが、可能な商品から少しずつご提供させていただきますので、どうかご理解いただきますようよろしくお願い申し上げます。
みなとは、会社だけでなく、社員全員が被災し、自宅の全壊や流出など甚大な被害に遭い、長らく避難所生活を強いられました。さらにここ湊地区は1ヶ月以上も電気水道のない生活を余儀なくされたにもかかわらず、社員一同あきらめることなく、どうにかここまでこぎつけましたのも再開を待ち望んでくださいました多くのお客様の励ましやご支援のおかげです。
言葉にならないほどの感謝でいっぱいです…。
本当に、ほんとうにありがとうございました。
いよいよ本日5月6日、みなとのスタッフが揃い、「愛情たらこ」の漬け込みを開始しました!
いろんな想いがこみ上げてきて涙が出そうです…。
どうか再出発いたします「愛情たらこのみなと」をこれまで以上にご愛顧いただきますようお願い申し上げます。
店長 木村 朱見
皆様のたくさんのご支援のおかげで、みなとは業務を再開することができました。震災発生から業務再開にたどり着くまで、本当にたくさんの困難がありました…。
全国のお客様からたくさんのご心配のメールやお電話をいただいておりましたが、パソコン14台と電話機16台がすべて水没し、約1ヶ月半(50日間)電話回線の復旧ができず、通信手段が断たれてしまい、お客様へご連絡することができませんでした。
当時の状況を振り返ることは大変心の痛むことではございますが、実際に経験したこと、そして再出発できるまでの道のりをまとめてみました。
平成23年3月11日午後2時46分…。
3月にしてはとても寒く、雪が舞っていた日でした。普段と変わらない業務中、未曾有の被害をもたらした巨大地震はやってきました。
約2分間、とても厳しい揺れが続いた後に大津波が「みなと」を含む周辺の町をのみこんでいきました…。
立っていられないほどの巨大地震の後、まもなくして「大津波警報」のサイレンが…。
まさかこんなところまで…と思っていた矢先、あっという間に会社まで津波が押し寄せてきました。
みなとスタッフは急いで冷凍冷蔵庫2階の会議室(通常建物の3階の高さ)に駆け上がり緊急避難。
建物や車をのみこんだ高波とともに、想像もできない大きな津波がやってきました…。
「みなと」は漁港から1km以上離れていますが、轟音とともにあっという間に海水につかりました…
会社周辺はほんの数分前とは全く違う光景が広がっていました。
そして震災当日はとても寒く、降り続く雪で恐怖感が一層増しました…。
たくさんの車や建物が、なす術もなく流れていきます…。
これは冷凍冷蔵庫2階の避難した場所から撮った写真。
2階の会議室は56畳ほどあり、一部従業員と近隣住民など津波から逃げてきた方々、社長と社員で命がけで助けた方々と一緒に、水の引かない冷蔵庫の2階で一夜を迎えることとなりました。
その後、瓦礫や車の残骸で自宅に戻れない方を受け入れ、避難所としてお世話することになりました。
(3月11日~5月5日まで避難所として宿泊場所提供)
当日、遠くを見ると煙が…。
車や船や建物に燃料タンクから流れ出た燃料が引火し、周辺の街が火に包まれてしまいました。
この日は夜遅くまであちこちで火の手が上がり、サイレンが鳴り響いていました。
被災者の大部分は、電気・水道・電話回線の不通から、当時自分たちが置かれた状況を正確に把握することが難しく、数十日から数ヶ月後の電気復旧とともに石巻市の壊滅的な状況をテレビ報道ではじめて知った人がほとんどでした…。
翌朝の3月12日。大きな余震が続く中、会社に残った一部のみなとスタッフにより、会社内に備蓄していた精製水と燃料、そしてわずかな食材をかき集めて食事をつくり、みんなで分け合いました。
電気はもちろん固定電話や携帯などの通信手段がすべて断たれ、周辺は津波で流された家屋や車で道路が寸断…。
どこにだれが何人救援を待っているという情報も発信できず、自分の家族の安否も確認できないまま、とても不安な状況が何日も続きました。
工場周辺は大量の瓦礫と海水で移動も困難となり、まさに孤立状態が数日続きました。
「みなと」が被災した…。
湊水産の避難所に70名を超える住民が避難している…。
情報を聞きつけたお客様や取引先の方々をはじめ、楽天市場で知り合った仲間たちやその知り合いの方々からたくさんの物資提供をいただきました。そして多くの方々にボランティアとして片付けを手伝っていただき、本当にたくさんのご支援をいただきました。途方に暮れていたスタッフや避難していた人たちもとても勇気づけられました。
4月3日。
震災後、不安な日々を送っていた中、楽天大学を通じて知り合った仲間たちが駆けつけ、たくさんの支援物資を届けてくれました!
東京からレンタカーを借りて、まだ瓦礫が残り道路が寸断される中、ここ石巻まで何時間もかけてやって来てくれたのです。
湊地区はスーパーや薬局、コンビニなど店舗はすべて壊滅的な打撃を受け消失していたため、震災直後から全く手に入らなかった物資をたくさんトラックに積んで持って来てくれました。
また業務再開にあたり、楽天に出店している全国のショップの皆様からもプリンターやオフィスチェア、高圧洗浄機、エプロンなど様々な分野から数多くのご支援をいただきました。
心より深く感謝申し上げます。
1日も早い製造・販売の再開を目指して、みなとのスタッフが毎日懸命に復旧作業にあたりました。
また、たくさんの方々にご協力いただいたおかげで予想以上に早い段階での業務再開を果たすことができました。本当にありがとうございました。
みなとの工場前でも大型トラックが流されてきました。
写真右側がみなとの敷地です。
大津波が引いた後は、様々なものが道という道をふさぎました。
震災直後はこのような状況が石巻市中で見られ、車での移動などとても不可能で、勤務先で被災した人は水も食料もなく近隣の被災状況もわからないまま、普段は車で通勤する道を、瓦礫をかき分けがながら家まで徒歩で帰宅するしかありませんでした。
丸1日かけて自宅にたどりついた人もたくさんいました。
あまりの光景に茫然と立ちすくみ、これからどうやって復旧していけばいいのか、本当に工場を再開できるのか…という途方もない不安が押し寄せます。
中央の青い車がみなとの車です(水の力で車3台の上に乗っていました…)。
他の車や瓦礫とともに、数十メートルの距離を一気に押し流されていきました。
みなとの直売店も津波の直撃を受け、ガラスが割れ、陳列ケースやPOP類、冷蔵オープンケースもすべて海水に浸りました。
ガラス部分には身長よりも高い津波の到達ラインが見えます。
4月に入ってから本格的な復旧作業がはじまりました。
全国のボランティアの方々をはじめ、たくさんの応援をいただき、着々と復旧作業が進んでいきました。
この時期は1日中瓦礫撤去や清掃に明け暮れていました。救援物資も少しずつ行き渡るようになり、避難所生活をしながらも業務再開を夢見てひたすら片付けをしていました。日を追うごとにだんだん見通しが見えてきました。
駐車場の泥も取れ、直売所のガラスについた津波の後もなくなりました。
手伝っていただいた方々との記念撮影。
震災直後の状況が想像もつかないほどキレイに復活しました!
4台の営業車がすべて流されてしまい、震災後に注文しましたが石巻市にはすぐに入庫されず、数ヶ月待ち状態で困っていたところ、楽天ショップ「ゲキハナ」様のご厚意で軽トラックをお借りすることができました。
背の高い幌付車なので雨の日も救援物資の輸送や生活物資の調達などに大活躍しています!
現在も大変助かっています!
そして5月6日、いよいよ業務再開!
TESS FACTORY 様のご厚意で贈っていただいた、新しくステキなみなとのエプロンに身を包み、代表して一部スタッフで記念写真を撮りました。
みなとはたくさんの方々のあたたかい励ましやお力添えにより、なんとか製造を再開することができました。
皆様からのご支援がなければ業務再開の日を迎えることはできませんでした。
被災前の状態に戻るまでには、まだまだ時間がかかりますが、皆様からのあたたかいご声援を励みに、この困難を乗り越えていこうと社員一丸となって頑張りますので、これまで以上に「愛情たらこのみなと」をご愛顧いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
湊水産株式会社
代表取締役
木村 一成