東日本大震災から15年…。
2011年3月11日。
あの日のことは、15年経った今でも鮮明に語ることができます。
まさか自分たちが、生きているうちにあのような出来事を経験するとは思ってもいませんでした。
紙一重で生かされた命。
ただ夢中で走り続けてきた15年だったように思います。
悲しくつらい出来事の連続で、思い通りにならないことばかり。
心が折れそうになったことは、数えきれないほどありました。
それでも震災があったからこそ出会えたご縁、支えてくださった方々との出会いは、
私たちにとって何よりの宝物です。
笑い合える時間や、励まし合える瞬間に、どれだけ救われたか分かりません。
なので、これだけの「ご恩」に対する恩返しは、
10年後も会社が続いていて
そこで働く私たちが元気に仕事をしている姿を見てもらう。
それが
何よりの恩返しになるのではないか。
決して簡単な道のりではありませんでしたが、
みんなで力を合わせて夢中で走り続けて来ました。
そして迎えた10年目。
「ようやくこれからだ」と思えたその時、今度は誰も予想しなかったコロナ禍が訪れました。
しかし私たちは思いました。
「あの震災を思えば、水も電気もある。住む家もある。」
どん底を経験すると、人は不思議と「なんとかなる」という力が湧いてきます。
だったらこの時間を活かし、常温商品のたらこ開発に取り組みました。
その結果、数々の常温商品が生まれ、これまでにない新しい業界とのお取引も広がりました。
湊水産の強みである商品開発には、今も全国からご相談をいただいております。
コロナ禍が落ち着き始めた頃、今度は能登半島地震が起きました。
現在、湊水産の主力商品のひとつである「無添加明太子」は、
国産の鰹節と昆布から出汁をとり、能登町でつくられる魚醤で味付けをしています。
地震直後、生産者の方の安否確認をしたところ、
大変な状況の中でも事業を続ける決断をされたと聞きました。
震災から6か月後の7月、社長と私は石巻から車で7時間かけて能登町を訪れました。
この「6か月後」という時期には理由があります。
それは、私たち自身が東日本大震災で経験した「半年後の絶望感」を覚えているからです。
震災直後は多くの支援物資が届き、希望が見えた気がしました。
しかし6か月が過ぎても状況はなかなか変わらず、
むしろ世間から取り残されたような感覚に押しつぶされそうになったのです。
そんな時、
再開した湊水産のたらこを手に取ってくださったお客様が
「これだよ、この味を待っていたよ」
「再開してくれてありがとうー!」
と声をかけてくださいました。
東京の百貨店で催事販売をした時も、DMも出せなかったのに、
広告を見て駆けつけてくださったお客様が、涙を流しながら再開を喜んでくださいました。
その姿を見た時、
「あきらめずに本当に良かった…」
心からそう思えたのです。
待っていてくださるお客様の笑顔がある限り、
その笑顔のために頑張ろう。
だからこそ、被災された能登町の生産者の方にも、
この時期にこそ会いに行かなければと思ったのです。
今から40年前、湊水産が「無添加たらこ」を作り始めた時、
国産の天然だしと魚醤で仕上げた茶褐色のたらこを見て、
「こんなもの食べられるの?」
と多くのお問い合わせをいただきました。
しかしアトピーを抱える社長は言い続けていました。
「いつか必ず、健康を大切にする時代が来る。」
その信念を曲げず、作り続けてきました。
そして能登町の魚醤も変わらず支えてくださいました。
その結果、昨年にはジャパンフードセレクションでグランプリを受賞。
さらに今年は、日本のトップシェフが選ぶ「食べる美食アワード2026」の認定商品にも選ばれました。
【
その他の受賞歴はこちら 】
15年前、あきらめなくて本当に良かった。
どんな状況の中でも美味しいたらこを作り続けてくれた社員のみんなに、
心から感謝しています。本当にありがとう。
これでもかというほどの困難が訪れても、
あきらめず、ひたすら真面目に「美味しいたらこ」を作り続けてきました。
その先でいただけた賞は、もちろん嬉しいものですが、
何よりの励みは、お客様のおいしい笑顔です。
自分たち以上に喜んでくださるお客様の姿が、
私たちをここまで支えてくれました。
ミセスの曲「ケセラセラ」の歌詞のように
「ここを乗り越えたら、楽になるしかない。」
きっとこの先にも、楽しい未来が待っている。
だから
「あきらめるのは、今じゃない。」
湊水産はこれからも、
安心・安全で信頼される「おいしいたらこ」を、
心を込めて作り続けてまいります。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2026年3月10日
愛情たらこのみなと
湊水産株式会社
木村 一成・朱見
