あの日、何が起こって、その日から、何がはじまったのか…。
この動画は、昨年(2014年)完成した新社屋の落成式にあたり、湊水産株式会社の従業員のために作成した「あの日からの3年間のあゆみ」です。
ここまで来るには本当に大変だった。
頑張った自分たちを誇りに思い、
苦しいときに助けてくれた多くの人々に感謝し、
お客様のあったかい励ましに涙し、
いろんなことを、今、ようやく語ろうよと、
次への一歩を踏み出す、自分たちの応援のためにつくったものです。
動画には未来への希望や夢も表現されています。
動画の最後には、震災後3年間で授かった社員の赤ちゃんも登場します。
私たちのあゆみをご覧いただければ幸いです。
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3月11日午後2時46分、立っていられない程の大きな大きな揺れが…。
湊水産は海から1.6kmも離れた、どちらかというと山を背にした住宅地。
津波警報を聞きながらも「ここまでは来ないだろう」と、だれもが思っていた。
だから続けておこる大きな余震を避けて社員全員、外で待機していたのだ。
そうするうちに「女川が6mの津波!」の情報が流れ、
その瞬間、会社前の道路のマンホールから水が噴き出してきた!
それを見た社長が、でっかい声で、
「上がれ、あがれー!津波来るぞー!冷蔵庫の2階に早く駆け上がれーっ!!」
一斉に、そこにいた従業員、近所の人たち、他から逃げてきた見ず知らずの方々、
皆で地上から3階程度の高さの冷蔵庫の階段を駆け上がった。
そして後ろを見た瞬間、津波が方向をかえてあちらこちらから襲ってきたのです…。
・・・・・・・・・・・。
危機一髪で助かった人、一瞬で流された人、これは夢だ、何かの間違い!?
すぐには目の前の出来事を受け入れらませんでした。
寒い夜だった…。3月にはめったに降らない雪が降ってきた…。近くでは火事が発生した…。
翌日、いつもの同じように太陽がのぼり朝が来た…。
でも、やはり夢ではなかった…。
その日から、湊水産の冷蔵庫2階が急遽、地域の避難所に…。
いろんなことが起きて、サバイバル経験もした。でも、皆で乗り切った。
そして2ヶ月後の5月6日。
新しい原料で漬け込みを開始。湊水産の新たな再出発、そして挑戦が始まった。
全国の百貨店の催事を回った。
「このたらこ、美味しいね~。」の言葉が一番の励みになった。
震災後の3年間で社員に赤ちゃんが6人(27年の現時点では9人)誕生した。
この子たちが成人になるまでは、親が職を失うようなことがあってはならない。
湊水産は、何としても立ち上がらねばならないと強く思った…。
ただ、月日が流れるほど「頑張れ!」だけでは頑張りきれない現実にも直面していた。
そんな中、2012年12月16日、新社屋建設の決断。
当時1,200坪の敷地内に建てられていた工場を解体しての建設なら、
同規模の工場の再建が可能だが、被災地の建設工事の遅れは深刻なものがあり、完成までは最低でも1年はかかる。
その間、製造がストップしては従業員の給与は払えない…。
かといって、甚大な被災をした石巻では、他に借りられる工場などあるわけもない…。
仮に見つかったとしても、その工場から毎日自社の冷凍庫へ運ぶ保冷車もない…。
そこで、敷地内に隣接していた社長宅を取り壊し工場建設を決断。
それから1年半近くの月日を経て、ようやく待望の工場・店舗・事務所を備えた新社屋が完成したのです。
これは「みんなの工場」。
設計から、使い方、ユニフォームまで社員全員で決めた。
「製造部にスポットライトをあてたい。」という社長の一言で、
ユニフォームはパティシエ風に。
カッパではなく赤レザーのエプロン。そして長靴ではないピンクの工場靴。
「決意」と「願い」をこめた、衛生的な新しい工場で、
さらに美味しく、さらに安全・安心な商品を
今日もつくり続けている「みなと」です。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。